事実関係 アメリカが化学兵器を完全に廃棄するまで
現在の状況
大量に備蓄された化学兵器の廃棄には何十年もかかる。
そしてアメリカ陸軍によれば、その作業はほぼ終了したという。
コロラド州プエブロ近郊の化学兵器貯蔵所では、
6月に最後の化学兵器が廃棄された。
ケンタッキー州にある別の化学兵器貯蔵所では、
数日中に残りの少しの化学兵器が廃棄される予定だ。
廃棄が終われば、
アメリカが世界に対して公表している化学兵器は、
すべて廃棄されることになる。
過去から現在までの、化学兵器をめぐる大まかな流れ
第一次世界大戦後からの動き(増大する化学兵器)
第一次世界大戦後、化学兵器は「非人道的な兵器」として使用が禁じられた。
それでもアメリカや他の列強は開発・蓄積を続けた。
西部戦線の塹壕で悪名を馳せた「塩素剤」や「マスタード剤」を、
より殺傷力の強いものにしたものもあった。
また、「VXガス」や「サリン」のように、
ごく微量でも致死量のある「神経剤」を保有している国も現れた。
アメリカ軍はベトナム戦争で、人体に有害な枯葉剤を使用している。
冷戦末期からの動き(化学兵器の完全廃棄へ)
冷戦末期の1989年、アメリカとソ連は化学兵器の備蓄を廃棄することで原則合意する。
さらにアメリカは1997年に「化学兵器禁止条約」に批准する。
アメリカを含む「化学兵器禁止条約」へ署名した国は、
化学兵器を廃棄することを約束した。
しかし、技術的な問題として、化学兵器を処分するのは簡単ではない。
爆薬と毒薬が組み合わさると、取り扱いが非常に危険になる。
当時のアメリカ国防総省の高官は、
「この仕事は数年以内に約14億ドルで完了する」と予想していた。
しかし実際には、予定より数十年も遅れ、420億ドル近い予算がかかった。
そして2023年、ようやく化学兵器の廃棄作業は終わりつつある。
もう一つの流れ アメリカ国民とアメリカ軍の相互不信→化学兵器の安全な廃棄を求める住民運動
膨大化する備蓄量
何世代にもわたって蓄積されたアメリカの化学兵器備蓄は、大量になっていた。
神経ガス入りのクラスター爆弾や地雷、
森全体をまぶしいマスタードの霧で覆い尽くす砲弾、
ジェット機に積んで下方の標的に散布できる、毒を満載したタンクなど。
それが大量にあった。
アメリカ軍による化学兵器の秘密実験
アメリカ軍は何世代にもわたり、
「化学兵器の使用は、敵の化学兵器による攻撃に対応する場合に限る」と宣言していた。
つまり、そっちが使ってきたらうちも使うよ、と。
敵が化学兵器を使用することを躊躇させるため、アメリカは大量の化学兵器を蓄えた。
1960年代までの間に、
アメリカは世界中に化学兵器の製造工場や貯蔵施設の「極秘ネットワーク」を構築していた。
1968年の雪の降る春の朝、
ユタ州の陸軍実験場に隣接する土地で、
5,600頭の羊が謎の死を遂げる事件が起きた。
後に、これは化学兵器の実験によるものだと判明した。
この時まで化学兵器の備蓄がどれほど膨大なものになっていたか、
一般にはほとんど知られていなかった。
この羊事件に関して議会からの圧力を受けた軍の指導者たちは、以下の3点を認めた。
1.陸軍が現場近くで「VXガス」の実験を行っていたこと
2.8つの州の施設で化学兵器を保管していること
3.多くの場所で化学兵器の野外実験を行っていたこと
安全な廃棄へ向けて、社会運動が起こる
国民が上記のことを知ると、化学兵器破棄への社会運動が始まった。
当初、陸軍は、
時代遅れの化学兵器を旧式化した艦船に積み込み、海上で廃棄するという、
長年行なってきた方法で廃棄を行なおうとした。
しかし、国民は猛反発した。
もう一つの廃棄方法の案は、
備蓄品を巨大な焼却炉で燃やす、というものだった。
これも反対の壁にぶつかった。
ではその後、化学兵器処理はどうなっていたのか?
それは反対運動に関わった人たちの話から読み取れる。
以下は反対運動に関わった人たちから聞いた話だ。
反対運動をしたウィリアムズさんの話
ケンタッキー州の陸軍基地近くに住んでいたクレイグ・ウィリアムズさんは、
1984年、自宅から5マイル離れた場所に、
陸軍が何トンもの化学兵器を保管していることを知り、
化学兵器の安全な廃棄を求める運動を始めた。
ウィリアムズさんは言う。
「化学兵器の安全な廃棄をうながす運動を起こさなければならないと思い、立ち上がりました。
結果が出るまでに、本当に長い時間がかかりましたよ」
家具職人のウィリアムズさんは、当時36歳のベトナム戦争帰還兵だ。
多くの人たちとともに、陸軍に「焼却炉で燃やす案」についての詳細な説明を求めた。
「備蓄庫から何が出てくるのか、多くの人が質問しました。
しかし、陸軍からハッキリとした返答はありませんでした」
憤慨したウィリアムズさんとと他の人々は、焼却炉反対団体を組織し、
議員に働きかけ、焼却炉が有害物質をまき散らすと主張する専門家を招いた。
アラバマ州、アーカンソー州、オレゴン州、ユタ州の焼却炉と、太平洋のジョンストン環礁の焼却炉が
備蓄の大部分を処理するために使用された。
しかし、ウィリアムズさんたちは他の4つの州での焼却炉の使用は阻止した。
議会から別の方法を見つけるよう命じられた国防省は、
燃やさずに化学兵器を処理する新しい技術を開発した。
軍縮運動をしたライフさんの話
ライフさんは何年も政府の外で軍縮を推進し、
今では国防省の「脅威削減・軍備管理担当副次官補」になっている。
コロラド州プエブロにある陸軍の化学兵器基地内では、
厳重な警備の部屋で、
ロボットアームのチームが
アメリカが所有する、膨大でおぞましい化学兵器の、
最後の備蓄の一部をせっせと解体している。
解体中の化学兵器の中には、
陸軍が70年以上保管していた
強力な致死性を持つ「マスタード剤」が詰まった砲弾も入っている。
真っ黄色のロボットが砲弾に穴を開け、水を抜き、洗浄した後、
華氏1,500度で焼いた。
残った物は不活性で無害な金属くずで、
ベルトコンベアから普通の茶色いゴミ箱に音を立てて落ちていった。
「化学兵器が無害なものになるときの音です」とキングストン・ライフさんは言った。
処理後の砲弾がゴミ箱にポンポンと入っていくと、ライフさんは微笑んだ。
化学兵器処理の監視を続けたコネリーさんの話
プエブロ基地での処理過程を、30年にわたって監督してきた
市民諮問委員会の委員長アイリーン・コネリーさんは、
100万個近いマスタード弾が廃棄される過程を記録してきた。
現在77歳の彼女は杖をつきながら、最後の1発が廃棄されるのを見届けた。
コネリーさんは言う。
「正直言って、こんな日が来るとは思いませんでしたよ。
当初、軍は国民を信頼していないようでした。
国民も軍を信頼できるかどうかわかりませんでした」
コネリーさんはベージュ色の工場の建物と、その向こうのコロラド大草原にある、
空になった化学兵器貯蔵庫を見た。
その近くでは、緊急用ガスマスクを腰に下げた作業員たちが、作業完了のお祝いに集まっていた。
工場長は場内スピーカーから『ファイナル・カウントダウン』を流し、
赤、白、青のボム・ポップ(アメリカの有名なアイス)を配っていた。
コネリーさんは微笑んで、こう言った。
「廃棄プロセスはスムーズで、安全で、とても淀みなく進んでいきました。
この地域の住民の多くは、廃棄プロセスが進行中であることを忘れていたくらいです」
「若い人のほとんどは、化学兵器の廃棄問題が起こったということを知りません。それも当然だと思います」
特記事項① 化学兵器廃棄作業の実際
化学兵器の構造
化学弾薬はどれも基本的に同じ設計である。
薄い壁の弾頭に液体の薬剤を充填し、
戦場でそれを破裂させる。
破裂させるために小型爆薬を使い、
化学薬品を小さな飛沫、霧、蒸気にして噴射させる。
処理作業はどのように行ったのか?
では処理作業はどのように行ったのか?
以下に処理担当者から聞いた話を記す。
プエブロ基地で処理作業をしているレヴィさんの話
プエブロ基地の化学エンジニア、ウォルトン・レヴィさんは、
1987年に大学を卒業後、化学兵器廃棄の研究分野で働き始めた。
プエブロ基地では、
マスタード剤の充填された殻を、
ロボットアームで貫通し、中のマスタード剤を吸い出す。
殻は洗浄し、わずかに残留したマスタード剤を処理するために焼く。
吸い出した方のマスタード剤は熱湯で希釈し、
下水処理場で使われるのと同じようなプロセスで、
バクテリアによって分解させる。
「バクテリアはすごいですよ」
プエブロ基地での廃棄作戦の最終日、
砲弾が処理されるのを見ながらレヴィさんは言う。
「適切なものを見つければ、どんなものでも食べてくれるんです」
さらにレヴィさんは言う。
「残りカスはほとんど普通の食卓塩だが、重金属が混じっており、
有害廃棄物として扱う必要があります」
ブルーグラス基地で処理作業をしているコイルさんの話
ブルーグラス基地でもプロセスは同様だ。
弾頭から排出した液体神経ガスに、水と苛性ソーダを加えて混合し、加熱して撹拌する。
攪拌処理後、「加水分解物」と呼ばれる液体が残る。
加水分解物はテキサス州ポートアーサー郊外の最終処理施設にトラックで運ばれ、そこで焼却する。
ブルーグラス基地の、陸軍プロジェクトマネージャーであるキャンディス・M・コイルさんは言う。
「この処理法は、誰にも危害を加えないというのが、一番の利点です」
特記事項② 化学兵器に関するアメリカ以外の国の状況
他の大国も申告した化学兵器の備蓄分を破棄した。
2007年のイギリス、2009年のインド、2017年のロシアなどだ。
しかし、アメリカ国防総省の関係者は
「化学兵器が地球から完全に根絶されたわけではない」と警告している。
「条約に調印していない国も多くあり、
ロシアをはじめとする調印済みの国も、
未申告の化学兵器を保持している可能性がある」とも言っている。
また、「化学兵器禁止条約」は、
ならず者国家や、テロリスト集団による化学兵器の使用を終わらせるものでもなかった。
例①シリアのアサド大統領に忠誠を誓う勢力は、
2013年から2019年にかけて、
国内で何度も化学兵器を使用した。
例②「イスラム国」の戦闘員は
2014年から2016年にかけて、
イラクとシリアで、少なくとも52回は化学兵器を使用した。
(情報収集・分析サービス「IHSコンフリクト・モニター」による)
引用元記者の雑感
「アメリカが保有する膨大な量の化学兵器と、
それを処理するための数十年にわたる努力は、
人間の愚かさの記念碑である。
しかし同時に、人間の可能性の証である」
とある人は語った。
「人間の可能性の証」と言える部分は、以下2点の事実だろう。
①住民や議員が、周辺地域を危険にさらすことなく作業を進めるように主張した。
②アメリカ軍がそれを実行した結果、長い年月を要したが安全な廃棄ができた。
引用元:https://www.yahoo.com/news/u-destroying-last-once-vast-120722645.html
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